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~眼は錠機構ではありません~

『仙台89ERS』20周年特別企画 ~20年間を振り返ってみよう~(vol.01)

Happy 20th Anniversary

【はじめに】

2024-25シーズン、20周年を迎え記念のシーズンとなった仙台89ERSですが、残念ながら開幕4連敗で勝利がありません(2024.10.18時点)。ただ、試合はいずれも僅差であり、実力的に格上の相手にも、しっかり食らいついている印象で、ケガ人も戻ってきて、新加入の選手がフィットしてステップアップできれば、必ず白星を重ねられるハズです。そんなチームを応援すべく、20周年特別企画として、このブログで20年間を振り返ってみようとおもいます。ちなみに、上の真ん中のはぁーと型の画像は、3年目の2007-2008シーズンのプレイオフ有明コロシアムでフラッグにブースターが寄せ書きしたものです。このプレイオフの3位決定戦が、仙台89ERS史上、最上位のカテゴリのプレイオフ(いまのBリーグでいうところのCS)で勝利を挙げた唯一の試合というわけです。

また、仙台89ERSの公式でも、20周年プロジェクトとして下記のサイトを作成しており、今後もいろんなイベントが控えているみたいなので、20周年というイベントを存分に楽しみたいですね。(あの「ニジュウマルの笑顔を~」とかいうキャッチコピーは、ノーコメントでw)
www.89ers.jp

仙台89ERSの20年間の歩み】

仙台89ERSの20年間の歩み(シーズン毎の結果および一言コメント)

まず、仙台89ERSの20年間のシーズン毎の結果と、「ブースターとしてそのシーズンを一言で表した」一覧を作成してみました。(元の数字とかは、Bリーグの公式ページやWikipediaから引用)

20年間のブースターとしての熱量推移グラフ

そして、私のブースターとしての熱量というか、どれぐらい熱心にブーストしていたかをグラフにしてみました。こうみると、bjリーグの初期に熱をあげ、震災などもあってどんどん興味が薄れてきて、B2降格して、ほぼブースターと呼べない状況wになって、最近は少し持ち直して来たかなという感じです。一番誇れることは、この20年間すべてのシーズンで1試合以上は、生で試合観戦しているというところですかね。(そういうブースターはどれぐらいいますかね?会場でみかける顔だと2-3人は昔からホームでもアウェイでもいるなぁ~という人がおもいつくけど、どっちかというと(今は無いけど)後援会とかボランティアとかの方なのかなと、いやー、頭が下がります)

で、このグラフを見てわかるように、私はbjリーグ初期の浜口炎さんがHCだったときが一番熱心なブースターで、一言コメントでもわかるように外国籍選手に偏ってというか、華のあるプレーをする外国籍選手を好んで応援するスタイルだったとおもいます。(ちなみに、bjリーグの最初の頃は、外国籍のオンザコートの制限が無かったので、5人全員外国籍で固めるという手段をとってもOKだった。だから、コート上に外国籍が多いbjリーグにハマったとおもいます。ひどいときは、コート上に外国籍が8人ぐらいいるときがありましたw)

個人的な応援スタイルについてもうちょっと触れると、基本的には、じっくり大人しくみるタイプです。(GO!GO!ナイナーズコールとディフェンスコールはツレがいるときだけするけど、ボッチ観戦が多いので基本地蔵)座席は、基本的にメイン側が好きで(TVカメラアングルの全体的に見える席を好む)、カメイアリーナだと、メイン側2Fの中央最前列が定位置。ゼビオだといろいろ座るけど一番好きなのは、かなり不評な3Fだったりします。アウェイは、関東住みだった、2007-2014あたりは、結構行ってます(東京アパッチ埼玉ブロンコス戦とか特に)一番思い出深いアウェイは、プレシーズンマッチ(2012-13)の、vs.新潟アルビレックスBBの試合で、佐渡市両津総合体育館にいったことですかね。

あとは、マインド的には「プロは勝って(優勝して)なんぼ」というか勝利至上主義です。ヤジとか、SNSに誹謗・中傷するタイプではありませんが、情で応援することはほぼ無くて、勝つチーム(チームの方針や選手編成も含めて、勝とうとする姿勢を見せてくれるチーム)だったら応援しましょうというスタイルです。非情かもしれませんが、わかりやすく金を落とすか落とさないかは、勝つチームかどうかで決めています。初年度から箱推しなので選手の移籍や引退で応援しているチームが変わることがないというのも20年間ブースターでいられた理由でしょうか?(そもそもバスケットボールが好きというのが根底にありますが…)ただ、応援している仙台89ERS選手に対してはもちろん相手チーム選手やスタッフに、マイナスな言葉はかけてはいけないとおもっているので、文句を言うのは、審判にだけと決めていますw(心の奥底には『ベガルタ仙台の戦術くんの戦術魂』を持っているつもり)

『戦術魂の定義』
・方法は違っても最後にそこにたどりつけばいい。
・決して選手に対してマイナスになることは言わない。
・頑張れば思いはとどく。
・最後まで諦めてはいけない。
・試合には勝たなければならない。
・目標は優勝。

戦術くんの戦術ボード

別にブースター歴が長いといって、マウントとる気もないですし、私より歴も熱量も多いブースターさんはいっぱいいらっしゃるとおもいます。いやらしい話になりますがチームへのお金の落とし方もライトブースター級だと自負しています。まあ、歴の長さ、チームに掛けているお金の金額でブースターの価値・地位を決めるのは間違っているとおもいますので、これからもあくまでも消費者として外から89ERSを応援していこうとおもいます。

ちょっと話が脱線してしまいましたが、この20年間を1シーズンごと振り返っていきましょう。
最初は、1回でまとめようとおもったのですが、せっかくなら、1回ずつ20回(19回かな?)にわたってPostしていこうとおもいます。該当のシーズンに関係する画像を貼付して、つらつらと思いつくこと・印象に残った出来事を書いていこうとおもいます。(選手名とか、結果・記録とかは、ほかのサイトから転記するだけになりそうなので、割愛します)


1年目.【bjリーグ:2005-06】日本初プロバスケットリーグ開幕、バスケがしたい!

中学時代は部活でバスケをやっていましたが、背も小さく運動神経が悪く楽勝で補欠だったこともあり、そのころから、NBAを観たり、バルセロナ五輪アメリカ代表の初代ドリームチームに魅了されたり、バスケといえば観る方が得意でした。bjリーグ初年度の2005年当時、国内のバスケットリーグは実業団リーグでしたので、トヨタとか、アイシンとか、東芝(ちょうど2005年は志村社長が東芝に入団した年ですね)などが強かった時期です。私はもっぱら、日本初のNBA選手になった田臥選手をおっかけている感じで、仙台でバスケといえば、仙台高校って感じだったので、インターハイ・国体・WINTER CUPとかを熱心にみてましたね。

そんな中、大いなる言い出しっぺである、河内さんの「バスケがしたい!」という言葉で、プロ化が進まない状況に業を煮やした新潟・埼玉が中心となって国内初のプロバスケットリーグである、bjリーグそして、仙台89ERSが誕生することになります。河内さん以外にも、もう一人仙台89ERS誕生のきっかけというか、20周年も彼がいなくてはありえなかった「中村彰久」元球団代表についても触れなくちゃいけませんね。bjリーグは、日本初のプロバスケットボールリーグですが、当時の日本バスケットボール協会(以下協会)公認のトップカテゴリである「JBLスーパーリーグ」側から見れば、謀反という形で、なんの後ろ盾もない株式会社のサラリーマンがつくったチームで勝手にプロとか言いながら運営していたリーグです。bjリーグの選手が日本代表に選ばれることもないですし、協会からはJBLスーパーリーグの選手に、「bjリーグと関わることは禁止」なんてお達しがでるほどです。(ここらへんを知らない人は、協会の迷走ぶりで有名な「自慢していいですか?」というYoutubeの動画あたりを見ると楽しめるとおもいますw)
www.youtube.com


そんな中で中村社長は、個人経営という形で仙台89ERSを立ち上げ、2017シーズンまでの12年間チームを運営しつづけたことになります。いやマジで覚悟が凄い(中村さんは東大出身なのでもちろん才覚あっての話だとおもいますが…)このあと振り返っていくとわかりますが、夢のプロチーム誕生と聞こえはいいですが、bjリーグ仙台89ERSは、茨の道を歩むことになるわけです。(それはまた別のお話)

ファンクラブ(会員)のカードの推移

なんの因果が地元にプロバスケットボールチームが出来上がった私は、開幕前から興味津々でファンクラブに入るぐらいウキウキでした。上の画像は、1年目から3年目のファンクラブカード(私物で物置から引っ張り出してきた)ですが、1年目は仙台89ERSのロゴもティナも映っていないシンプルなものでした。ちなみに、初年度のファンクラブ会員申し込み開始日・開始時刻にローソンのLoppiの前で待機して、会員番号『1』を取ろうと申し込んでみたら35番ぐらいでした(多分関係者とかが優先されてたんですねw)

一番印象深い試合は、プレシーズンマッチのvs.新潟@仙台市体育館です。スコアが手元やネットで見つけられないのですが、確か、新潟120対60仙台みたいなスコアだったとおもいます。新潟はフルメンバーじゃなくて、仙台は全員外国籍の揃っている状況だったのですが、元々トップリーグでやっていた新潟と、チームが出来て1-2か月しか経っていない仙台は本当に試合になってませんでした。あとこの日のヤジが一番ひどかったと思う。「真面目にやれ~」「弱すぎ~」「プロ失格!」とか、本当に聞いていて胸が痛かった思い出があります。あと、「プロのバスケの試合だから迫力が違うよ~」みたいな口説き文句で友人を誘ってたのにお通夜みたいな雰囲気になって「どうしてくれんだよ!」って思いだったのを覚えています。のちに浜口HCとか日下選手も話をしていましたが、チームスタッフと選手も「心が折れた」「マジでやばい」と感じていたそうで、そんなチームでも、のちにプレシーズン全敗しながら、開幕5連勝することになるのですから、わからないものですね。

でも、やっぱり、2005年11月5日は、一生忘れられない日だとおもいます。bjリーグの開幕戦、仙台89ERSとしての第1試合目です。場所は、ホームである仙台市体育館(現呼称:カメイアリーナ仙台)で、相手は、埼玉ブロンコス戦です。結果的には、仙台 79-75 埼玉 で仙台が勝利します。観客数は、3,987人で、私も運よくその場に立ち会えて、開場前の長蛇の列をみて、すげぇ~って思ったのをいまでも覚えています。試合内容は、いま思うとレベルも低く、NBAなどを熱心にみていた自分からすると、スピード感も迫力もないものだと感じそうと思いきや、ぜんぜん違います。目の前でプロバスケがみれて、しかも自分の地元チームということで、それまで感じたことのない高揚感と心の底から、「負けたくない!」「ガンバレ」という思いがふつふつと湧いてきて、「仙台89ERS最高!」という気持ちになっていました。

そして、もうひとつ開幕戦のエピソードとして紹介したいのが、この試合の観客数3,987人という数字についてです。この3,987人という人数ですが、いまのバスケブームや、仙台89ERSのB.プレミア参入条件クリアニュースをみていると、「ぜんぜん入っていないじゃん!」とおもうかもしれませんが、当時バスケットボールで、1000人以上を集めることは凄いことでした。(多分、田臥選手の能城工業3冠のときぐらいしか体育館を満員にできなかった時代です。ちなみに、JBL(実業団)だと、そもそも興行として成り立っていないので、社員さんが応援に来ているだけの観客席に50人ぐらいとかも普通でしたよ。)で、衝撃的なのは、このあと11年、bjリーグは続くのですが仙台89ERSのこの開幕戦が最も入場料収入の多い試合だったという話です。もちろん、もっと人数が入った試合はありましたが、それは、ワンコインデーとか無料招待とかのドーピングの成果であって、入場料収入でいえば、最初の1試合目から11年間・220試合(ホーム年間20試合で単純計算したとしても)の間、一度も超えることができなかったとのことです。調べると過去最多入場者数は、5,280人で、2006年2月12日vs.埼玉ブロンコス仙台市体育館らしいです(これはMJQというウェディング事業のスポンサーさんのVALENTINE SPECIAL GAMEによる2F 3,000席無料開放があったからとのこと)なので、有料の入場者数は、2280人以下ってことなので、開幕戦の入場料収入を超えていないということみたいです)

仙台は、政令都市でありながらも、プロ野球JリーグBリーグの3球団が存在することもあいまってスポンサーの奪い合いになってしまい、スモールマーケットといわれております。かつ、親会社をもたない県民・市民球団ですから、本当に吹けば飛ぶというか、3.11で痛感することになりますが、チームが長く継続することは本当に奇跡だとおもっています。
Jリーグ発足時のチームを、「オリジナル10」と呼びますが、bjリーグ発足時のチームもまた「オリジナル6」と呼びます。「仙台89ERS」「埼玉ブロンコス」「東京アパッチ」「新潟アルビレックス」「大阪エヴェッサ」「大分ヒートデビルズ」の6チーム。「東京アパッチ」は消滅し、「大分ヒートデビルス」は、愛媛に譲渡され名前がなくなっているので、現存するのは、4チーム。そのうち、今年B1は仙台89ERS大阪エヴェッサだけですから(プロ化のきっかけとなった埼玉と新潟は何の因果かB3)本当に奇跡というか、トップカテゴリで、地元のチームを応援できていることの喜びを改めて実感しています。

ホーム最終戦後の集合写真


初年度は、結局シーズン最終順位4位でプレーオフに進出するものの(まあ、6チーム中4位なので負け越してもプレーオフに出れた時代)、有明では勝てずに4位で終了(私は有明に行けず東京住みの友人に応援をお願いしました)。個人的にはアンドレ・ラリーマーマドゥ・ディオウフマイケル・ジャクソンジミー・ミギンズ(途中加入)というバランスのよい外国籍が強力だったなぁ~という印象です。優勝は、大阪エヴェッサ。外国籍オン4とかオン5とかを堂々とやる腹のくくり方が素晴らしかったです。(仙台は浜口炎HCの理念もありオン3以上は実施しなかったですね)
上の写真は、初年度のホーム最終戦に、コートでブースター・スタッフ全員で集合写真をとったものです。ベンチブースタークラブの特典で送られてきたものです。私は、スポーツコートに土足で踏み入れることに抵抗がありこの場にはいないです。この中のどれぐらいが、20周年の開幕試合(ビーコル戦)に訪れたのか知りたいなぁ~。(10人はいるとおもうけどw)